リモート講義が浮き彫りにした大学の存在価値
コロナウイルスの影響で、今はどの大学もリモートでの講義に。
そんな中で僕が個人的に感じたことを綴っていきます。
動画コンテンツとしての『大学の講義』
オンラインでの講義となると、主に
・録画式(期限までに課題を提出すれば、取り組む時間は自由)
・リアルタイム式(出席をとってその場で課題に取り組む方法)
この二つの方式をとっていることが多いです。
仕方のない部分は多いですが、リアルタイム式で授業を受けていたとしても、対面での講義に比べると臨場感は無いに等しいです。
臨場感のないパーソナルな状態で講義を受けることで、
「大学の授業を受けている」という意識より、「教授(専門家)に90分間教えてもらう時間」という意識に自然と変わっていきます。
大学の講義=90分間の学習コンテンツ
こう捉えるようになったことで、その学習の『質』も以前より一歩引いた視点で客観的に考えるようになりました。
大学の立派なキャンパス、無駄に広い講義室というのは偉大です。
そこにいるだけで何となく格式高い、ハイレベルな学問を学んでいるような感覚になってしまう。
「キャンパス補正」がない今、自分と同じように「大学の講義って学費分の価値ある?」って感じている学生は少なからずいると思います。
様々な学習コンテンツと簡単に比較することが出来るようになってしまった
オンラインで多種多様な教材コンテンツが溢れている昨今、
例えば『経済学』を学ぶためのツールは大学ではなくても簡単に手に入ります。
ましてや先述の通り大学の講義が90分間の動画学習コンテンツとしてパッケージ化されたこの状況では、
他の教材コンテンツと『費用対学習効率』を比較することが容易になりました。
そんな中で年間何十万円、私立大学であれば百数十万円もの学費を支払うことが賢明な選択肢なのでしょうか。
大学でしか学べないことだってあるよ!
そう考える方も一定数いるのかもしれない。
そういう考え方にも一理あるなとは思っていて、特に僕自身は理系学生ということもあり、研究活動なんかは大学機関じゃないと難しいと思う。
でも、大学で多くの時間を費やす『講義』
これに関してはもっと効率の良い学習方法があるんじゃないか、とリモート生活になってみて露骨に感じるようになりました。
大学に必要なのは『教養×実体験』だと思う
これは特別、リモート環境になったからという訳ではなく前から考えていたことではあるのですが、
大学は教養・技術のインプットがメインで、アウトプットが出来る環境とは言い難い。
大学の先にはもちろん社会がある訳だから、『社会に出るまでの準備期間』として大学生活があってもいいんじゃないか。そう思うわけです。
僕自身は長期インターンシップというものを利用して、企業で働いたりしてアウトプットの場を設けているわけですが、本当に始めてよかったと思っています。
スキル面でもそうですし、「学生の顔」から「社会人の顔」になりつつあることは自分でも感じます。
こういう経験を大学でも設けることが出来れば「学習コンテンツ」としての価値が高まるんじゃないかとか思っています。
おわりに
なんだか大学批判みたいになってしまいましたが決してそういう風にお伝えしたかった訳ではなくて、
こんな時期だからこそ大学の存在意義を自分の中で再定義して、学生ひとりひとりが高い目的意識を持つべきだと思う!
ということを自分への戒めとしても残しておきたかっただけです。
めちゃめちゃ偉そうに綴ってきた僕だって所詮はただの大学生なのでね。
それじゃあまた!